李老中医 危急重症難病治療経験
その32
十三、小児湿疹(二例)
王二留、9歳、駅家族。1972年正月7日黄水瘡を患って45日、始まりは頭頂部から起こり痒くて掻き壊したあと、黄水が流れたところが爛れて瘡蓋を形成した。徐々に前額、両頬、胸背に広がり遂には全身綺麗なところが何もなくなった。日夜掻痒にきりがなく、泣き喚きが止まらない。首筋・脇下・鼠蹊部などのリンパ節全部が腫大疼痛し、高熱と煩渇を伴っている。その母はトウモロコシのシベ棒で痒いところを掻いてあげるが、血水のリンパ液や痒みは止めることができない。当時その病気の子は起き上がることもできないので、父親が城代にまで来て病状を訴えた。考えるに湿熱化毒である、そこで連翹敗毒合三妙湯で疏泄し、さらに土茯苓・苦参・白鮮皮・薏以仁を加えて化湿し、生石膏で陽明経熱を清くする。
土茯苓120gを煎湯に代えて水煎とし以下の薬を用いる:
二花・連殻・生石膏・苦参・白鮮皮・生薏以仁各30g、羌活・独活・前胡・柴胡・川芎・桔梗・蒼朮・黄柏・荊芥穂・防風・甘草各10gを3剤。
上薬を服用後、黄水はやっと少なくなり起き上がることができるようになったので、父親が背負って診察を受けに来た。見ればその衣服はどこもみな黄水と粘るかさぶたで覆われ、身体から剥がすことはできない。話すところによると、夜間に寝たまま脱衣し朝早くに起きたら、全身の黄水とかさぶたが掛け布団にくっ付いて、それを取るには皮肉を少し剥がさなくてはならず、苦痛に耐えられない。これほどの重症はめったにない。やはり原方6剤と3剤の内服薬、3剤の外用剤を与え、内服の方には全虫12匹・蜈蚣1条・烏蛇肉30gを加え粉にして、それを蜜丸にして先に服用させる。別に外用塗布薬:
蛤粉・青黛・滑石・甘草・生硫黄・蒼朮・黄柏・苦参各30g、雄黄・冰片各15gを合わせて粉にし、洗った後の瘡面に滲み込ませる。
一週間後にその子と一緒に来診したが、その症状の7~8割が癒えて、全身が一皮むけた。二度目の診察による処方を用いた後は二度と黄水は流れなくなりまた痒みも軽くなった。ただ夜間に煩渇と心煩で安定せず痒みが時々発生した。舌光紅無苔、便燥で3~4日に1回の排便がとても苦しく、甚だしいと肛門が裂けて出血をする。証は血虚生燥に属すので、大剤の桃紅四物湯に何首烏・蒺藜子・黒芝麻・牡丹皮・紫草を加え5剤を与えたら全て癒えた。
城関粮食品工場曹継柱の娘1歳半、泛発性湿疹が70日、上方を少なくして用いたら3日で癒えた。1983年1月8日に風を受けまた発症し、針先ほどの紅疹がびっしりと全身に広がり特に胸腹四肢が酷く、休まず泣き叫び夜が甚だしい。掻き壊して薄い血水を流し、まだらに血のかさぶたになっている。証は湿疹後の血虚風襲に属し、風毒が血絡に鬱して進化し“血風瘡”症になった。下方3剤を与え養血涼血と疏風解毒によりまた癒えた。
生地黄・当帰各10g、赤芍・川芎・桃仁・紅花・牡丹皮・紫草・白蒺藜・何首烏・皂角刺・炒荊芥穂各5g、烏梢蛇15g、鮮生姜3片、大棗4枚。
注釈:小児の湿疹は古くから胎毒と謂われ、妊娠中に辛辣な食べ物の過食によって遺された毒が胎児に影響した。出生後、ほとんどが3週間以内に外へ透発するが、まさに成行きをみてうまく導くために、連翹敗毒散合三妙散に土茯苓・白鮮皮(湿熱を冷まし、死肌を治療する)・苦参を増量して用い、升散化湿し清解内毒するこの方法で数百例を治療し、少なければ3剤で多くとも5剤で直ぐに癒えた。重症には虫類薬(全虫・蜈蚣・烏梢蛇)を加えれば入絡して捜風解毒するので止痒の特効がある。本病の治則は清解内毒を以って主となす。滲出液が多い時は、解毒・抜毒・清涼の燥湿止痒散剤を外用として選ぶことができる。もし内毒が取りきれていないで斂瘡塗剤を単独で用いるならば、容易に湿毒を内攻させてしまう。南関鎮の一人の小児が湿疹用の軟膏剤を塗ったら外症は消失したが、3日後の内変が急性腎炎だった。この時やはり連翹敗毒散加麻黄・紅豆で外に透毒すれば遅くはない。残念ながら医者は仔細に検討せず構わずに輸液を注射したが無効であった、そこで太谷に入院し散々苦労したあげく腎臓病の総合症になってしまった。数カ月後余が診察を請われたのでいきさつを尋ねて、そこで連翹敗毒散合麻杏薏甘湯加紅小豆・牡丹皮・紫草を毎回汗で潤うまで服用させると、徐々に小便が多くなり、浮腫や蛋白尿も一日一日と消退して一月余りで全快した。
湿熱は粘膩の邪であり油の入った面のように纏綿として解けにくい。治療した病例の中で升散燥湿の剤を使いすぎることで別の病となった例が出現し、燥化や傷陰の弊害で、これはまた“病ごとに病を治す”の通り。桃紅四物湯で涼血活血・養血潤燥すればこの弊害から免れることができる。
続く
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