李老中医 危急重症難病治療経験
その35
(四)
曹金花、30歳、県供給販売会社家属、1983年7月25日来診。出産時に出血過多で、産後も出血が一カ月半も続き、血色素6gになった。乳が少なかったので経験方の滋乳湯(黄耆・当帰・知母・元参・炒王不留・炮甲珠・六露通・絲瓜絡・七孔猪蹄2只)2剤服すと、3日目より下痢が35日続き、胃痛胸やけ消化不良、四肢の冷え、脈遅細(56拍/分)。顔色は晄白、唇・指・舌は淡白で艶がなく、一日に3回以上下痢をする。最近10日間は更にひどくなり明け方にも必ず下痢をして、脱肛して戻らず子宮さえも脱垂した。証は脾の不統血に属し、陰損が陽にまで及び、寒涼滋膩剤の誤投が酷く脾陽を傷つけ、それが下焦の元陽にまで毀損を及ぼした。四逆湯と三畏湯を合方して一部を取り除き与え、補火生土することで以って誤投薬を救う:
附子15g、姜炭・三仙炭・炙甘草・紅参(別にとろ火でゆっくり煮る)・霊脂各10g、油桂6g(研磨し冲服)、赤石脂30gを2剤。
8月1日二回目の診察では、温腎助陽が進み頻繁だった下痢は止み、食欲も以前の様になった。処方を改め補中益気湯の人参・黄耆を増量し、霊脂・姜炭・三仙炭・油桂小量冲服・赤石脂・山茱茰肉を10剤連用させた。半月後血色素は上昇し12gとなり、脱肛と子宮脱垂も同時に癒えた。
注釈:滋乳湯は中医界では常用の増乳と通乳の経験方である。北方の名医張錫純氏の創薬である。原方の主治は“気血虚によって乳少ない或いは経絡に瘀の者”。方中で黄耆・当帰を多く用いてはいるものの、知母・元参などの苦寒や猪蹄の寒中滑瀉は、とりわけ脾虚の者には宜しくない。とくに純虚の症候を以って本に経絡瘀阻がなく、そこに甲珠・六路通・王不留などを用いれば徒に気血を傷つけるだけである。本例は産後の出血がなかなか治らず、明らかに脾陽虚衰に関連し陰血を統摂できていない;食が入って消化しなければ気血に化生できずに、病が衰弱する原因である。医者が昔の人の成方を運用するにあたり時と場合に応じて方法を変えることを知らなければ、純虚の証に寒涼滋膩及び通絡の諸品を誤投し、脾陽を酷く傷つけ脾気下陥を招き、変証を生じさせることとなる。腎陽へ損及が長引けば関門は閉じず、五更泄瀉となる。これによってわかることは、専方専薬の運用には弁証が必要である。弁証が必要なだけでなくなお弁薬も必須で、必ず病機に適合する方薬の使い方や当を得た取捨選択によって、病を治して人を救うという目的を達成することができる。猪蹄の下乳は歴代の医家がみなその効果をほめたたえている。現代の実験研究でも豊富な蛋白質・脂肪・炭水化物・カルシウム・リン・鉄などの元素を含有していることが証明されている。ただしその性は涼であるから、生痰を助長し寒中滑腸の弊害があり、その様なことのない人に用いられる。余の臨床体験によると、凡そ素体が強く脾胃は健康で、しかし生活貧困で栄養不良のため乳が少ししかでず、または軽微な炎症があって乳腺が通じないときに用いて非常に奇効があった。もし素体が陽虚で脾胃が虚弱ならば、服用すれば反って害が現れるので慎重にしなければならない。
(五)
南関鉱三教食堂炊事員李清香、23歳。1983年9月産後の無乳により来院。病歴を訊くと、産後すでに70日の間食事が進まない、それは産前に飲食不節し、さらに産後3日りんご半分とトマトを1個、肥った肉の塊を数個食べてから、すぐに胸が痞えて塞がり時として涎を吐き、臍がグルグルして痛み悪漏があったが既に8日も大便がない。腹は減るが食べることができない、食べ物が入ると少しばかり便意を覚えるが胸郭が塀の様になる。産後に生化湯を服用してはおらず、婦人科の診断では子宮収縮不良であった。脈弦有力、舌辺尖は瘀斑で満ちている。病は産後の敗血未浄と瘀阻胞宮、かつ傷食が中宮に積滞したことによる。改訂生化湯合半夏瀉心湯・小陥胸湯を合わせて加減し、温経化瘀と行気消導を以って治とする:
益母草・当帰各30g、川芎・桃仁・紅花・黒姜各10g、澤蘭叶12g、生半夏・瓜萎根・党参各30g、焦三仙・酒黄芩各10g、霊脂15g、姜汁炒川黄連5g、炙甘草10g、沈香3g(研磨汁冲服)、鮮生姜10片、大棗10枚、黄酒・童便各1杯(混入)、3剤。
3剤を服すと悪漏が順調に流れ、膿血や腐肉状の物を甚だ多く含んだ便を下したら、胸の痞えがとれて食欲は増進し、乳の治療をしなくとも乳汁が湧き出るほどになった。
続く
Comments