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執筆者の写真kampo shinsendo

中医火神派 李可老中医医案翻訳 その41

李老中医 危急重症難病治療経験


その41



十一、産後に誤用した開破による変病


  張秀珍、女、30歳、鉄工場家族。1987年10月12日初診。三月下旬二度目の妊娠で一人の女の子を産んだが、心の中は抑鬱で不快、また差別を受け悲怒交錯して加わり、食欲不振・自汗・胸悶・喘急が暫く続いた。瓜楼枳実半夏湯を服したところ喘ぎで歩くこともできなくなり、更に不眠・心悸が増して身心が動揺した。安易に医者は養血帰脾・補心安神を20剤余り服用させたが無効なだけでなく、寒熱往来や全身皮膚麻木、折れんばかりの腰痛と臍下の動悸、甚だしい時には気が上攻した。少腹は閉脹してまるで妊娠しているように鼓腸し、顔色は蒼白で艶なく、脈の上は寸にまで達せず下は尺にまで及ばず、舌淡紅少苔。この症は情志の病変があるといえども結局は、産後の気血大虚で衛外の固摂を失ったため自汗が半月も止まらなかった。続けて現れた少食・胸悶や喘などのその本は、肺気虚により輸布の失調や中気虚による運化の失調、さらに腎気虚による納気の不能に属し、いたずらに開胸破気を用いたため気虚が極まり下陥となってしまった。故に上に現れれば息切れが続き、下に現れれば少腹が妊娠の様に張れる。時が経てば肝虚となり収斂失調し、腎気の固摂を失い冲脈は下焦を守れず時々上奔する。心腎の交済ができないため不眠動悸や身心が動揺する。五臓が同時に虚となるので、肺は皮毛を主どるため全身の肌膚は痺れる:肝の疏泄が太過となるので寒熱自汗となる:腎元が消耗するので折れんばかりの腰痛となる。補気升陥と定め斂肝固腎を急とする:


  生黄耆45g、知母20g、柴胡・升麻・桔梗各6g、紅参10g(打ち砕き小さな塊にして呑む)、山茱茰肉90g、腎四味120g、生竜骨・牡蠣各30g、炙甘草10gを3剤。


  10月15日二回目の診察では、不眠と痺れを除いて諸症状はすべて治った。なお臍下の動悸不安を感じるのに、紫石英・活磁石を加えて固鎮冲脈し上下を程よく治め、当帰で養血和血して3剤服用後ようやく癒えた。



十二、月経痛の痼疾


  馬金枝、女、25歳、結婚後5年不妊。彼女は月経痛を患い多くの医者に診てもらい、服用した薬は数百剤にのぼるが無効であった。その症は月経の3日前から少腹が墜脹絞痛し始め、日一日と甚だしくなり寝床を転げ回り、冷や汗でびっしょりとなり四肢は氷の様に冷たくなって頭痛と生唾を吐き、とてもひどい大病を患っているかようで月経4日目になって楽になる。月経量は少なく色黒で塊が多い。顔色は黒暗で眼の周囲・山根・唇の色も黒い。脈沈緊指を打つほどで、舌の辺尖は瘀斑で満ちていた。証は寒凝胞宮に属し、寒は収引を主どるので通じざれば即ち痛む。かつ病程はすでに10年以上経過し病は血絡深くに入り、既に痼疾となっているので癒えにくい。当帰四逆加呉茱茰生姜湯合少腹逐瘀湯を加減し、開冰解凝・逐瘀通経する:


  当帰45g、炙甘草・赤芍各30g、肉桂・細辛・呉茱茰(洗)各15g、通草・川芎・没薬・炮姜各10g、桃仁 20g(研)、紅花・土元(シャ虫)、炒小茴香各10g、失笑散20g(包)、柴胡15g、丹参30g、炮甲珠6g(研磨し末にして黄酒にて冲服)、鮮生姜10大片、大棗12枚。


上薬を月経前3剤服用し、月経の前兆が現れたら直ぐに3剤を連続して服用し、それを2カ月連続して服用する。


  1980年1月3日二回目の診察:二か月合計上薬12剤を服用し、今月の月経は順調で黒塊屑を甚だ多く下し月経痛は半分ほどに減った。翌月月経前の痛みは止み、月経に臨んで張痛は軽微で耐えられるほどになった。その時の診察では顔色は紅潤光沢があり、山根・唇の黒色はどちらも消えていた。ただ歯茎の隅が薄黒く見え:折れんばかりの腰痛で立ち座りに耐えられない、脈中取では緩で舌上に瘀斑の淡い痕が少しある。原方の桃仁を減じて10gとし、腎四味120gを加え毎月の月経が始まったら3~5剤連続して服用し、月経が終われば停薬するようにして連続2カ月服用する。


  翌年の春、路でばったりその祖母と会って、上薬を10剤服用後には全て良くなり現在妊娠中であると知った。



十三、寒症の盆腔炎


  耿淑珍、女、33歳、草橋村農婦。1983年8月27日初診。少腹の両側が痛み拒按、黄帯下が流れ汚臭がする。婦人科検査では子宮前屈、生化学検査:白血球19500、中性球80。診断は慢性盆腔炎の急性感染症で、中医診療に転院し治療。


  診察では脈遅細、58拍/分、舌淡胖水滑。胃中から酸腐様を吐き腰膝は冷痛し、精神疲労と嗜睡して顔色は化粧しているように嫩紅。婦人科の診断は急性盆腔感染とあったが、患者の症状は異なり中上の気化無権だけでなく、浮陽飛越して載陽の危険な症が現れている。もしみだりに清熱利湿の剤を用いればたちまちの間におかしくなるのを免れ得ない。少腹逐瘀湯合四逆湯加党参・雲苓・澤瀉・鶏冠花各30g、附子15g、油桂3g(研磨し粉を冲服)、浮遊した火を元に帰す引火帰原で、3剤。


  9月14日二回目の診察:上薬3剤服用して化粧をしたような赤味は消え腹痛も止み、帯下は減り食欲も出て、両目に力が戻り話す声もはっきりして、脈は滑数、94拍/分。正気が戻ってきたので薬性が平の清熱解毒薬・蒲公英60gを加えて清化する。


  11月14日に患者は幼子を連れて腹瀉の治療にやってきたので、以前の病を尋ねてみると二度目の診察の処方を服薬後すっかり治って、野良仕事の繁忙期と家事労働に十分耐えることができたという。



  注釈:炎症に対しての治療は当に人によって異なる。“炎”の字を火の上に火が加わると理解してはいけないし、血液検査値が高いことを自分勝手に判断し苦寒攻瀉を用いてはならない。体質稟賦の差異によって血液検査値が高いといえども、証が虚寒に属する者も少なくない。この農婦は8人家族で子供6人、労働力少なく生活困窮し労倦内傷により病気となったから、正気が先に虚となり、故に寒化・虚化が多い。《金鑑》外科に“膏梁は営衛を過剰に変え、粗末は体の気血を貧しくする”とある。古代中医はすでに疾病の個体特異性を認識していた。権力のある官僚や大金持ちの商人と困窮する人民とでは、同じような病を患うにしても病機転帰が明らかに同じではない。前者は膏梁濃味の肥った羊や美味しい酒を欲しいだけ食べ、無病のところに補を進めると必然的に営衛壅塞となり、病は化熱化毒が多くなってその患う瘍疽には攻や瀉が宜しい:後者は満ち足りた食事もできず身に纏う衣類も十分でなく、糠を呑み菜食するだけなので、労倦が内を傷つけ正気が先に虚となり病邪が内陥しやすく、凡そ患う瘍疽は補托が当てはまり、少なくとも攻伐を用いることは慎みが必要で、脾胃の保護を以って第一に必要なことである。即ち適度な攻をする時も同様に、病に当たれば直ぐに止め正気を傷つけてはならない。


  中医の“証”はすなわち疾病における主要矛盾の集中点で、内在する素因の“人体形気盛衰”を包括したもの。“証”に対して薬を使い“証”が解ければすなわち病は除かれ、一切が何の障害もなくすらすらと解決する。中西医結合の現状から見ると、ある幾つかの地方ではなお西医診断をして中医の薬を用いている。現代医学の確定診断された病に対して、中医はただ良馬を探し求める計画の通りに、番号通りに座席に着かせれば万事好都合なのである、故に度々失敗してしまう。中西結合させ“労せず成果を受ける”ことは絶対にできない。西医確定診断の病に対して中医は独立思考が必要で、真相がはっきりせず対応策がとりにくいことを根掘り葉掘り追求して深く分析解明する、この様な才能は中医の特色を体現し、“人”の情・病機をうまい具合に合わせて治療効果引き上げている。


                                       続く

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