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中医火神派 李可老中医医案翻訳 その50

執筆者の写真: kampo shinsendokampo shinsendo

李老中医 危急重症難病治療経験


その50



九、急性胆道回虫症と急性膵腺炎併発



  水頭劉守財の妻46歳、1983年12月2日救急入院し、内科・外科の緊急処理を経て制御できずに中医診察を要請された。


  患者は昨日朝食後右上腹部の絞痛と頻繁なる嘔吐があり、午後4時には1条の回虫を吐出し激痛部位が右上腹部にまで拡大して、疼痛は激烈となり一度は納まったもののドレンティンを1本注射したが効果なかった。今日は持続性・陣発性の絞痛が更に激しく、腹全体を触られるのを拒み手も近づけることができず、反って痛みで飛び上がり寒熱は虐のようで体温は39℃、血液検査では白血球185001/ml、中性球90%、初期診断は急性胆道回虫症と急性膵腺炎合併症である。すでに多量のペニシリン静脈注射を与えていたが、熱は退かず激痛や嘔吐も止まらない。当時本院には血清を作り澱粉酵素測定することができなかったが、もうすでに急性膵腺炎の三大症状が現れており病勢は大変重く危険で、もしも転院となったらすなわち病勢は遅延し病機を誤る、そこで中西医結合で進めることを決定し急いで救急する。


  訊いて判ったことは患者は肥甘酒酪を嗜食したため湿熱が内蘊し、脈は沈弦数実、舌苔黄厚燥、口苦・口臭がある。最近食滞が続き7日間も通じがなく、それに加えて回虫が内擾して胆道に侵入し膵腺炎を発症した。脾胃肝胆に邪熱が壅阻し、すでに実熱が胸に結実して陽明腑実の重症となっているので、以下のように処方を決める:


  1.舌下の金津・玉液穴を刺して黒血を瀉血し、両尺澤穴から黒血2mlを抽出、左足三里、右陽陵泉から陰陵泉へ挿捻転瀉法と留針30分を施す。


  以上は胆胃の瘀熱を疏瀉し痛みを止める方法で、施針後に嘔吐は止まり激痛も緩解した。


2.攻毒承気湯合大柴胡湯・大黄牡丹皮湯・烏梅丸を加減し、清熱解毒、通腑瀉熱によって血毒を完全に消滅させる:


  柴胡125g、黄芩45g、生半夏60g、杭白芍45g、枳実・牡丹皮・大黄(酒に浸した後で入れる)・生大白・甘草各30g、桃仁泥15g、冬瓜仁60g、烏梅30g、川椒・黄連殻10g、細辛15g、二花90g、連翹45g、芙蓉叶30g、芒硝40g(分冲)、鮮生姜75g(切)、大棗12枚。


  2000mlの水を加えて1時間浸した後、強火で10分煮沸し煮汁600mlを取り芒硝を入れて溶かし、さらに蜂蜜60g、生姜汁10mlを加えたものを3回に分け、3時間に1回の割で日夜連続して2剤服用することで病勢を阻断する。


  12月3日二回目の診察:昨日11時40分から服薬を開始し12時半には腹中がゴロゴロ鳴って頻繁に放屁を繰り返し、吐き気は止まり痛みも7~8割なくなったがまだ便意はない。そこで余が2回目の薬汁を一緒に服するように命じたところ、午後2時40分になって、羊の糞球の様な便器一杯の大便及び蛔虫3条を含んだ極めて熱くて臭い黒便を瀉下し、痛みは全て止んで熱も退いた。第2剤の薬から芒硝を除き夜の12時前までに、3回に分けて服用し終わるように言いつけた。夜の10時になって2度目の1塊の蛔虫を瀉下すると、一晩安眠した。


  今日の血液検査ではすでに異常はなく、熱は退き痛みも止んだので患者は退院を希望した。脈はまだ滑数なので上方の1/4量を2剤持たせて余邪を清くする。



  注釈:現代医学の称するところの胆道系統疾病(胆蛔症・急性胆嚢炎・胆石症)及び膵腺急性炎症が、出現したときの症状は胸脇激痛や手を近づけさせないとか、嘔吐が止まらず寒戦高熱などで、《金匱》蛔厥・《傷寒》“熱実結胸”“結胸発黄”・大陥胸湯証・大柴胡湯証などの記述に基本は合致する。故に大柴胡湯を以って核心組方とするのは正に最も良い方案である。急性膵腺炎6例の治療を経て、急性胆嚢炎・胆石症・胆絞痛(金銭草120g、鶏内金・郁金角30gを加える)など70数例みな癒える。本例は合併胆道蛔虫症で、故に烏梅・川椒・黄連・細辛・蜂蜜を加え引となし、30分後に芒硝20gを以って瀉下させ、1剤で取り除いた。


針刺と放血は止痛・止嘔・解熱の方面で病勢を直ちに止める効果をあげたし、弁証をして用いた薬が障害をきれいに取り除いた。


  凡そ経方を用いて大病を治すとき、一に必要なことは弁証が当を得ていて、病機を見て直ぐに投薬し躊躇しないこと。二に必要なことはよく経方の基礎である有効剤量を掌握し、一回に必要量を用いる、それは多量で頻繁や日夜連続服用など、病勢を阻断でき危機存亡から救い解放できねばならない。余の考えでは原方の半分を以って計量の基準とする、この点は既に80年代後に考古発現した漢代度量衡制が実証したものである。即ち漢代の一両は現代の15.625gにあたると、上海の柯雪帆教授がすでに明らかに著しているし、並びに臨床験証を経て真実であると信じることができる。この量を以って重度の危急症を治療して、一剤で収めることができることを知り二剤で終わるように、攻める毎に勝つという奇効がある。この量が少なければ無効か或いは緩慢で危いところを助けられず、そればかりか病機の誤りを残し人の生命さえも誤りかねない!中医史上を回顧し、明代から医界で流行した“昔の一両はすなわち今の一銭”の説が、数百年来すでに定律となっている。練習用の軽剤はもとより落ち着いた態度でするのはよいが、ただかえって去精したようなのが仲景学術の一大特色である。踏襲が今になって遂に中医をして優勢変わり劣勢となり、急症の陣地を失ってしまった。ただこの一つの悪習を除き過ちから抜け出し、急いで起き上がりまっしぐらに追いかけ、経方の奥秘宝蔵を発掘努力し、実践して足場を固め、一定の胆力と見識を有して大病を治すことができ、また単独で一部の責務を担うことのできるだけの青年中医隊を養成することが、当に中医を復興させる当面の急務である。



十、胃結石症



  霊石石膏工場工員孫宝祥、48歳。1997年中秋節前に狩りをしに山へ登ったがなにも獲物を取ることができなかった。また喉が乾き空腹だったので、成熟した黒棗を見つけ一度に腹いっぱい約1kg以上を食べ、その上冷たい山の湧水を飲んだ。家に帰り疲労が極まり倒れるようにして爆睡した。夜半になって胃痛と脹悶で眼が覚めたが、その痛みは絞られるようでこの日一日甚だしかった。たまに食物を口にしても直ぐに吐き脹痛は耐えられないほどとなった。病が延び延びとなり二カ月して、雲を突くような威丈夫だったのが終に両頬はこけ骨は柴のように痩せて、体重も急に10kg以上減り寝込んで半月も起き上がれなかった。県医院でのX線検査では胃の中にたくさんの大小不揃いな欠損が充満しているのが見えたが、淵に沿ってはきれいであった。総合臨床診断は“胃黒棗結石”で摘出手術と決まった。しかし家族は同意せず余に診察を依頼した。11月20日脈診は沈滑有力で舌苔黄燥。胃部を按診すると小児の拳大や桃の種ほどの大きさの円形で包まれた塊がころころ転がっていた。患者は素が牛の様に壮健だったが、病によって虚となり本当にげっそりと痩せてしまった。当に積を消しながら堅を攻め同時に正虚にも注意する。まず保和丸で消食化積するが、莱菔子一薬は“壁を押して倒す効果がある”、鶏内金はよく消食化石する主薬であり、この二薬で利気止痛と消脹寛中してしかも正を傷つけず、莱菔子と紅参・霊脂とを一緒に用いれば相制相畏で積を攻め正を扶けるし相互に徳益が明らかで、遂にこの一方と定める:


  莱菔子60g(生炒各半)、鶏内金30g、連翹30g、枳実・大黄(酒浸後下)・焦三仙15g、生半夏・雲苓各30g、紅参(別に弱火でゆっくり煎じる)・霊脂・陳皮・木香(後下)・炙甘草各10g、鮮生姜10片。


上薬を3剤連続して服用し、毎日1~3回丸い塊の粘液で包まれた大便を瀉下し3日後には全快した。


                                     一旦終了

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